『ナレーター有吉』で有吉弘行が見せた判断力
2018年8月15日水曜日、23時45分。いつもは『マツコ&有吉 かりそめ天国』を放送してる時間帯で単発放送していた『ナレーター有吉』が面白かった。
観てない人たちのために説明すると、番組のあらましとしては「芸能人が企画したロケVTR、そのナレーション原稿まで本人が考え、後日VTRを観ながら有吉弘行が用意したナレーションを読み上げる」というもの。
これだけ見てもその面白みがどこまで伝わるかわからないだろうが(実際自分もあまり理解しておらず期待はしてなかった)、観終わってみたところ度を超えたくだらなさと、改めて有吉弘行という男の底の深さを感じる内容だった。
VTR&ナレーション原稿担当ゲストとしては狩野英孝、池田美優、バイきんぐ小峠という順で放送されたのだが、トップバッターの狩野英孝に関しては本人のロケ映像、ナレーション原稿ともにツッコミどころ満載でナレーションを読む有吉弘行、そしてMCであるハライチ澤部がそのトンチンカンなVTR&ナレーション原稿にツッコんでいくという「タレント自身がナレーションを読む」という行為以外はさほど他のロケ番組と変わらない出来だったと思う(それでもさすがの面白さだったが)。
だがしかし、2人目の池田美優のVTRから様子がおかしくなってくる。
池田美優は自身のホームタウンである渋谷でギャルのネイルについて取材するという内容のVTRで、本人が用意したナレーション原稿も浮ついた内容であり、池田美優本人のようなギャルが読めば様になるのだろうがいかんせん読むのはナレーターである有吉であり、40過ぎのおじさんがまともに読んでいては正直キツイ内容である。
──そこで有吉が動いた。
ナレーター有吉は池田が用意したナレーション原稿をまともに読むことなく、勝手に内容を添削し、ボケれる部分はガンガンボケていくスタイルに変貌したのである。
そのスタイルは全編に渡って続き、3人目であるバイきんぐ小峠の番になってもナレーター有吉は暴走を止めることなくそのまま放送は終わった。
「あーくだらねえ」
放送が終わって思わずそんな言葉が漏れてしまった。
正直、ナレーター有吉が改変した部分に関しては下ネタや乱暴な言葉が入り交じる深夜ラジオのような内容で、別にそのボケの内容が素晴らしかったとかそういうことでこの文章を書いてるわけではないのだ。
じゃあ何が素晴らしかったのかというと、ナレーター有吉の咄嗟の”判断力”である。
こと有吉弘行というタレントに関して言うと、低迷時代はなんのその、今や自身の冠番組を多数持つトップクラスの売れっ子芸能人と言っても過言ではない人である。
そして多くの人が想像する今の有吉の番組での立場はMC、司会者の立ち位置が多いのではないだろうか。
番組におけるMCの立場といえば、企画を成立させるために進行したり、出演者に話を振ったり、軸が逸れてしまった場合は元に戻したり、あくまで番組における「常識」を象徴する立場として置かれることが多い。
それは司会者有吉弘行にとっても例外ではなく、『有吉ゼミ』や『
櫻井・有吉 THE夜会』では番組の軸としてそつなく司会進行に徹する有吉の姿を見ることができる。
もちろん企画を成立させるという仕事を全うしているだけの司会者は数多く存在するし、優秀な司会者だなとは思う。
ただ司会者有吉弘行は同時にコメディアン有吉弘行の牙を隠してはいないとも思う。
自身がMCを務める『有吉弘行のダレトク!?』では場の誰よりもボケたり、時にアシスタントの高橋真麻や準レギュラーであるアンタッチャブル山崎
をも巻き込んで暴走するなど誰よりも番組の軸をブレさせている場面がある。
たとえ企画自体は成立していようがその面白さが足りないのであれば、また足せるのであればガンガン自分から動いていき、ピッチの点取り屋としてどんどん得点を決めていく。誰よりも笑いに敏感であり、その場に笑いが求められるならすぐに最前線で笑いを取りに行く”判断力”を持つ男、それが有吉弘行というプレーヤーである。
2018年8月からAmazonプライムで配信が開始された『有吉弘行の脱ぬるま湯大作戦』。
事前の宣伝や予告映像などで期待をして視聴したが、配信番組にありがちな「地上波では出来ない!」を合言葉に「ゆるい規制と芳醇な資金」で大コケした『戦闘車』を彷彿とさせる大味な、大味なだけで退屈なバラエティ番組だった。
だけどここでも有吉の”判断力”が功を奏すこととなる。
なんてことのないきついロケの間の昼食タイム、大鍋で用意されたカレーとご飯、そして味噌汁をセルフ形式で盛り付けるという変哲のない昼食のはずだった。
そんな変哲もない昼食のはずだったが、その後間もなく部屋は停電、真っ暗闇の中で熱々のカレーライスと味噌汁を盛り付けて昼食を終えないといけないというミッションに変貌した。
言い忘れていたが、『有吉弘行の脱ぬるま湯大作戦』の中で有吉は司会者でもなんでもなく、他の芸人たちと同様に爆破に巻き込まれたり、汚物を投げつけられるという被害者側の立場である。
部屋が闇に包まれてしばらくはその暗闇での不便さや熱々のカレーを皿に注ぐことの難しさに苦悶する出演者たちであったが、貪欲な有吉は企画者が意図したであろうその軸をブレさせにかかる。
何故か机の上においてあったサボテンをオードリー春日の腕にぶっ刺したり(もちろん有吉は見えてはいない)、激辛デスソースを盛り付けたカレーの中に入れたり、はたまたシンプルに熱湯をぶっかけたり、暗闇だからバレないと判断して以降はやりたい放題。結果として大量の爆薬や予算を投じた他の仕掛けよりも、ただの食事時間のほうが盛り上がってしまったのである。有吉弘行というひとりの男のいたずらによって。
話を『ナレーター有吉』に戻したいと思う。
この番組の軸はあくまで「タレント任せにしたナレーション原稿のトンチンカンさをナレーター有吉が読むことで浮かび上がらせる」ということだと思う。
またその構造は1人目の狩野英孝が持ち味を出したことによって誰でもわかるように伝わった。
2人目の池田美優に関してはおそらく「ギャル特有の話し方をナレーター有吉が読むことによって面白さを浮かび上がらせる」というスタッフの意図があったように思う。
だけどナレーター有吉はその軸を理解しながら、さらに原稿に無いアドリブを追加しまくりボケまくるという暴走を決め込んだ。
1人目の狩野英孝に比べては弱い、という判断があったのかもしれない。はたまた2人目ということもあって気分的にノッてきたのかもしれない。有吉の心中はわからないけれど、ここからは番組本来の意図よりも脱線した”ナレーター有吉ショー”が最後まで繰り広げられることとなる。有吉弘行の”判断力”バンザイである。
以前ネット上で読んだ講談師・神田松之丞さんのインタビューで神田さんが有吉弘行に関して言及していたことを思い出した。
『芸人が政治語り出したら、“現役”じゃないんだなって。思想はおのおのあっていいと思うんですけど、真面目に語られるのは、なんか嫌ですね。』
『芸人の正論なんか聞きたくないんだもん。そもそも正論を言う職業じゃないし。「俺らわかんないです」って言ってればいいと僕は思うんです。そこは有吉さんとかは一線を守ってるんじゃないですか。だからそういう意味でいうと、有吉さんまだ“現役”なんですよ。』
これは政治についての話だが、本質的な部分では今回自分が感じたことと同じような気がする。
司会者の仕事が多くなろうが、猿岩石としてヒッチハイクをしていたころから、一番近くでダチョウ倶楽部の芸を見ていたころから、猫男爵として裸で部屋中をうろついてたころから、毒舌やあだ名芸で表舞台に戻ってきたころから有吉弘行は変わらなく”現役”のお笑い芸人であり、どの立場であろうとも笑いへの”判断力”を失わないプレーヤーなのである。